KANOSUKE 鹿児島 嘉之助蒸溜所 小正醸造

Kick Off

 日本一、いや世界でも有数の美しいローケーションに建設された蒸溜所と言っても決して言い過ぎではないだろう。蒸溜所の庭から、名もない小さな川を渡り、砂地に枕木をのせただけの階段を駆け上がると、そこには50kmほど続く圧巻の白砂の浜が現れる。日本三大砂丘のその吹上浜には、青ウミガメも産卵に訪れる自然豊かな環境が開発から逃れ保たれていた。まさにお日様を置いたような夕陽(サンセット)が観られることから付いた地名が「日置(ひおき)」なのだという。美しく赤い光に照らされたメロウな潮風が、蒸溜所の熟成庫まで運ばれてくるのだ。

 

 そんな環境で育ったぼっけもんが、新星のごとくウイスキーの世界に現れた。2018年8月弱冠40歳で小正醸造社長に就任した4代目小正芳嗣(こまさ よしつぐ)氏その人である。高校時代はラグビーで土にまみれ、東京農大進学後はアメフットに転向。諦めず、常に前進しようとする強靭な精神力や体力とは裏腹に、決して猪突猛進では無く、常に周りの状況を精査し、立場の違う人の意見にも真摯に耳を傾ける。大胆にして繊細な薩摩隼人なのだ。

 

 

Shochu or Whisky

 2018年、創業135年を迎えた小正醸造は、なんと1957年からオーク樽で熟成した焼酎“メローコヅル”を世に出してきた。4代目芳嗣氏は2003年に同社に入社すると、農大大学院を卒業した研究者としての実力を駆使し、様々な商品開発に才能を発揮してきた。一方で、その人懐っこいキャラクターも手伝い、国内のみならず海外数十カ国に遠征し、自社製品の販路を広げてきた。そんな最中、ウイスキーの本場であるスコットランドのとある会社から、メローコヅルの味わいが高く評価され、同国で販売したいとのオファーが舞い込んだ。しかし、数週間立っても発注が来なかった。芳嗣氏は居ても立ってもおられずコンタクトをとった。結果的には“shochu”というカテゴリーでは売れない、市場に受け入れられないとのことで、取引きが破談になってしまったのだ。芳嗣氏は溢れ出る涙を堪えた。本当に悔しい出来事だった。一方で、味わいが評価されたことは、何より自分たちの製造技術に自信を深めるターニングポイントとなった。


Expression

 

現在国内外で問題となっている“なんちゃってジャパニーズウイスキー”。つまりは出自が明らかにされていない調達原酒を瓶詰めし、ジャパニーズウイスキーと表記したり、原酒混和率が10~20%程度のウイスキー風スピリッツもジャパニーズウイスキーとして大量に販売されている。これは酒税法の規制が緩すぎて、何でもありになっている為だ。酒税法には触れていないものの、景表法には引っかかりそうな案件が続々と出てきている。一方で、焼酎の酒税法はどうだろう。樽熟成で得られたせっかくの琥珀色も、規制値を超えると濾過して色抜きせねばならず、樽の成分が溶出して変性した熟成香等も、一定量を超えると除去しなくてはならなくなる。自らが70年以上に渡り経験を積み重ねてきたオーク樽熟成に対する経験や技術を「焼酎」の分野で出そうとすれば、いつも何かを削り、減らさねばならない。芳嗣氏はついに決断の時を迎えた。自分たちの経験をバックグラウンドにした技術や感性を、「“ウイスキー”という自由なキャンバスで思う存分表現するぞ!」

Distillation

 当初の私には、焼酎の売れ行きが芳しくないから、ブームの最中にあるウイスキー製造に参入したのではとの憶測が無かったとは言えない。しかし、小正醸造の焼酎は今でもフル生産だった。芳嗣氏はウイスキーという新たなキャンバスで、今まで秘めてきたあらゆるものをアウトプットし、緻密な計算の上で図案を描き始めた。

 小正醸造の焼酎蔵には木製のそれを含め、7基の単式蒸留器を稼働させている。嘉之助蒸溜所のポットスチルの選定にも、芳嗣氏の経験からくるアイデアが随所に発揮された。国内クラフトでは珍しい、3基からなる構成だ。写真左から、6000L、3000L、1600Lの容量で、ラインアームは水平、下向き、上向きになっている。真ん中と右がスピリットスチル(SS1、SS2)なのだが、自由な組み合わせが可能だ。そのため、様々なニューポットを産み出すことが可能となる。冷却は蛇管式を採用している。原料となる麦芽も、スコットランドから輸入するものに加えて、焼酎製造に供する薩摩芋の農家さんが、裏作で大麦を作っていることも奏功し、すぐに地元産大麦を使用することができる。

 

Fellows for the Mellow Whisky


 この3基のポットスチルの構想には、2人の優秀な技術者の献身的な支えがあった。共に焼酎造りに携わってきた枇榔(びろう)氏と大牟田氏だ。2016年には当時の芳嗣専務と3人で、嘉之助と同規模のスコットランドの蒸溜所を隈なく観て廻った。現地でのウイスキーの製造研修にも時を費やした。夜にはティスティングをしながら、3人で喧々諤々の議論をした。大いなる夢も語り合った。

 帰国後、ウイスキー製造免許取得に多大な労力と時間が掛かることになるが、この2人が毎日夜中まで夢の実現に向けて体を張ってくれたのだ。芳嗣氏は言う。この2人のおかげで蒸溜所のプロジェクトが実現したと。そして、3基のポットスチルという構想の具現化もこの2人の技術者あってこそだと。

 ウイスキー製造の傍ら、寝る暇も惜しんで国内外を走り回る元アスリートに、2018年秋、さらに強力な助っ人が現れた。鹿児島生まれ京都育ちで、某有名国内蒸溜所で12年にわたりウイスキー製造に携わった農大の後輩女史が、生まれ故郷の鹿児島に向かった際に、嘉之助蒸溜所を訪れたのだった。大学時代から色んなお酒を嗜む(研究する)彼女は、小正醸造の焼酎である“蔵の師魂”の愛飲者でもあった。それを作る焼酎蔵の御曹司が、農大の先輩にいたのだ。十数年前に、その尊敬する先輩を遠くから見ていたのだと彼女は言う。

 大手では、なかなか自分のやりたいことは叶わない、表現も限られる。もっと自由にウイスキー作りをしたい!嘉之助蒸溜所の東シナ海が一望できる11メールの一枚板のカウンターの椅子に深く身を委ね、まだ出来たばかりの嘉之助の原酒を口に含んだ途端、彼女の全身に電気が走った。長い沈黙の後、目を合わさず、前に立つ薩摩隼人に告げた。「...ここで、一緒にウイスキーを作らせてください。」

  大学で酵母の研究をしていたという彼女の提案は、すでに醗酵作業等に色々活かされている。前職では品質に関わる原料分析から、製造に関わる検査の仕事にも携わった実績も嘉之助モルトの仕上がりに大きな成果をあげそうだ。それ以外にも、ワインの販売、百貨店での販促、結婚披露宴の演出など様々な仕事を経験してきたマルチな才能が、嘉之助プロジェクトに花を咲かせていくだろう。

 

Barrel aging

 ウイスキー製造の醍醐味、熟成の現場では、小正醸造の70年のデータ蓄積が遺憾なく発揮されている。バーボン樽、シェリー樽に加え、焼酎メローコヅルの熟成に使用した樽など、次々にバリエーション豊かな樽が投入されていく。ニューボーンとして発売されるこの焼酎樽は、樽工場に戻し入れ、一旦解体し、良質の材だけを選び、再び組み直すという手間のかけようだ。さらに、ミディアムチャーで40秒間樽の内面をリチャー(焼き直)し、嘉之助ニューポットの熟成に使用した。近い将来、蒸溜所敷地内にクーパレッジ(樽工場)を設け、上記のような作業を自社スタッフにて内製化する予定だと芳嗣氏は言う。

 今まで焼酎ジャンルの法律に縛られ、その能力を発揮できなかった薩摩のぼっけもんは、ウイスキーというキャンバスにどのような表現をしていくのか。目を離せないことになりそうだ。


From the past to the future

 芳嗣氏の祖父にあたる2代目小正醸造社長の嘉之助翁が、将来を見据えて手に入れたのがこの吹上浜を見下ろす広大な土地だった。メローコヅルの里と命名された嘉之助翁の構想は、多くの人が訪れる憩いの場所とすることだった。その想いを受けて、孫の芳嗣氏は、蒸溜所の設計時に、ビジターセンターを併設することを決めた。蒸溜所の操業開始は2017年11月。そして2018年4月には早々にビジターセンターをオープンし、ディスティラリーツアーをスタートさせた。ウイスキー愛好家やウイスキーにそれほど興味のない人達も訪れて後悔することはないだろう。やがて熟成を重ねた嘉之助モルトウイスキーを、恐らくは日本一長く重厚なバーカウンタに座り一献を傾ける。壁一面のピクチャーウインドー越しに、東シナ海に沈む線香花火のようなサンセットを眺めながら、生きている有り難さを実感することだろう。

 愛好家を代表して、小正芳嗣氏に感謝の意を表したい。

「よくぞこんなにも美しい蒸溜所を作って下さった。」と、、、。


嘉之助蒸溜所見学には鹿児島市内泊ではなく、ここに泊まりたい。品数いっぱいの美味しい料理、全室オーシャンヴュー

OCEAN RESORT

えぐち家 さんへ

地元客、観光客ともに大人気の

海鮮ランチ   

ここは特産品も魅力的

江口蓬莱館 さんへ

日本経済新聞社様の映像記事

“ジャパニーズウイスキー クラフト蒸溜所が競う (熱撮西風)”

マルス津貫蒸溜所へは国道270号線で直結 車で40分。

是非両方訪れたい。

マルス津貫蒸溜所


 

11月22日 12時より予約開始

 

12月7日リリース後 順次発送致します

 

ご注文はこちらから

 

嘉之助 ニューボーン 2018  ホワイトオークカスク 8ヶ月 ノンピート 58% 200ml